#1.小学校高学年で母親が双極性障害Ⅰ型発症!父親のワンオペ育児で生活急変!?
さて、始まりました!連載第一回目!
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この記事の内容は、私が小学校高学年の時に母ちゃんが病んじゃったんだよ~!どうしよ~!という内容です。
うちは地方都市に近い、農村地帯で育ったんですよ。
小学校全学年で100人にも満たない、小さい学校に通ってました。
なぜか父は三男なのに、親の面倒をよく見てました。
そして祖父(父の父)が93歳で死去を機に、父が残された祖母の面倒を見るべく小4時に転校を経験します。
転校、そして母が勤めに出る。
引っ越し先は50㎞程度の近くだったけどね。
これまでも田舎だったけど、引っ越し先は超ド田舎。週末には元いたところの近くのスーパーに買い物に行くくらいの。その時は何とも思わなかったけど。
ほどなくして、3人兄弟の末っ子も小学校にあがり、母親に時間の余裕ができたのか、親戚の農家に働きに出ることになりました。
もともと粗暴な感じの親戚ではありましたが、のちに聞いた話では従業員みんなからの母に対する壮絶な言葉責めがあったようです。いじめ、いびりですね。
父親の親族なんで、母も父に何度か現状を訴えたらしいのだが、相手にしなかったらしい。今でもそのことは母の恨み節で聞かされる。
ちなみにその親戚の主犯格の癖の悪いチンピラみたいなオヤジは、のちに疾走。イカレてる人間だった模様。現在も行方知れず。
野菜出荷なんかの時に私もそのオヤジの運転する車に乗ったりしたけど、子供乗せて一般道で100キロ以上スピード出すヤツだった。
いびりに加担していた親戚のそのオヤジの妻もそのまま離婚となり、その後母に謝罪をしたらしい。
そして母が神になる。
なんか、「母ちゃん無双」って感じだった。
「私は今すごく頭がさえてる!」とか言い出すようになったのね。
「すごく頭がよくなったようだ!神が降りてきたんだ!」とか言ってんのね。
近所の人やママ友とかにも。
習い事をやっていたが、小6の卒業レクの時に、母が書いた自画自賛作文をみんなの前でオレが読むというカオスな環境に置かれた記憶がある。母は感極まって泣いていた。
常に激しい感情フルMAXですごく、すごく、恥ずかしかった。
同級生のお母さんたちは、おそらく今までとの違いに気づいてたけどそうとう気を使わせただろうね。
あんまり覚えてないんだけど、相当おかしかったんだろうね。
いつの日か私たち兄弟は、同級生の友達の家に泊まることになっていた。
2~3日だろうか。父だけが帰ってきて、母は入院したという。
その後は父が一生懸命メシ作ってた記憶だけだな~!
休みの日とかどうしてたんだろう。今思うと、当時の環境で3人の子供の父のワンオペ育児って考えられない。
オヤジ、よくやってたと思う。
母、鉄格子をガシャガシャいわす。
そして週一回は母の入院先の都会の病院に片道2時間はかけて行ってた。
最初は、獣のように怒り狂って「出せ!出せ!」と喚き散らしてたな。
まさに荒ぶる獣という感じだった。
病室は個室で鉄格子があったね。ここ病院?アルカトラズ?
診断は躁うつ病。今は双極性障害というらしい。
それにも段階があって、母は最高段位の「Ⅰ型」というやつ。
気分ハイパーMAXな躁(そう)状態と、テンションダダ下がりのうつ状態を定期的に繰り返す精神疾患です。
躁状態のときは眠くならないみたいで、夜中でもなんか活発に動いてる。体は疲れてるだろうし、性格はすごく攻撃的。自分は全知全能でっぶっ飛んでる。ものすごい長電話をする。物欲の制御が効かず、持ってる金は全部使う。常に感情が高ぶってて、泣きわめきながら罵倒してくる。
うつ状態は、もう全然動かない。倦怠感で一日中寝てるって感じ。
ほんとに真逆の精神状態を繰り返す、恐ろしい病気。
何回目かの訪問でだいぶおとなしくなってた。ろれつが回ってない感じ。薬効いてんだね。
1年くらいの入院だったのだろうか。躁状態とうつ状態を繰り返していたと思われる。落ち着いてきたのか、退院となる。
その後の通院が大変だったのか、結局祖母もうまく高齢者施設に入所でき、家族そろって前に住んでた街にトンボ帰り転校をすることに!
新築のアパートに移り住むことになってたはずなんだけど、学校に転校すると報告した後に、アパートの入居者決め抽選会があることが発覚!
何とか当たりくじを引いたので良かったが、転校スルスル詐欺になるところだったぜ!オヤジ~!(笑)