みすけろうブログ

親近者の精神疾患が多いので、メンタル問題を書いてみる

#0 自分の人生は波乱万丈なのか?客観的に見たいのでここに記す。

この日記は、なんか自分の人生がなかなかの壮絶感増してきたな!と思えるようになってきたので、過去の自分を面白おかしく書こうと始めました。

私が小学校高学年のころに母親がメンタルやられ、強制入院からの、私の変わり者人生が始まりました。

この記事はプロフィールも兼ねたダイジェスト版です。見出し画像のワードは、これまで経験した濃い内容のできごとです。

詳細はちまちまと投稿予定です!

小学校高学年で母親が双極性障害Ⅰ型発症!父親のワンオペ育児で生活急変!?

 

 そんなわけで、中流の田舎に生まれた私は、おそらく平凡な一般家庭で育っていた、どこにでもいそうな普通のやんちゃボウズだったと思います。

兄弟は3人ですが、全員小学校にあがった頃に母が親戚の農家にパートで働きに出ます。もともと粗暴な感じの親戚ではありましたが、のちに聞いた話では従業員みんなからの壮絶な言葉責めがあったようです。

いじめ、いびりですね。

そこからだんだんと母がおかしくなります。たぶん最初はうつ状態だったのかな?かなり無理してたんだと思います。しかし、ふさぎ込んでいた記憶はあまりなく、だんだんとハイテンションな時間が増えていった印象。

攻撃的な言葉遣いも目立つように。

私は全知全能の神だ!と言わんばかりに自分を神格化する母の言動や行動がだんだんと粗暴になってきており、とにかくなんでも”でしゃばる”ので、恥ずかしかった記憶しかない。

周りの大人が騒ぎ始め、母は病院へ。

私たち子供は状況が全く分からず、何日か学校の友達の家に預けられることに。

末っ子はまだ小学2年生だった。

帰った父が話すことは、母が入院したこと。診断は「躁うつ病(双極性障害Ⅰ型)」。

ひどい形容かもしれませんが、鉄柵の個室病棟に入れられた母は「荒ぶる獣」そのものでした。

母を見てきたからこそ思う。メンタル耐性を強くしたいと。そして修行へ。

 

 その後、母は病院内でうつになったり獣になったりを繰り返しながら、数年後退院、また数年入院など経て、病院の近くに引っ越したりもしながら、私は一応高校卒業を迎えます。

母の件もあり、家庭も特に裕福でもなく、にわかに思い描いていた大学進学を早々とあきらめ、別に就きたい仕事もあるわけでもなく、ただ、好奇心は強く、いろんな世界を見て回りたいという思いで高校卒業後はバックパッカーになろうと思っていました。

当然親に反対され、本人の知らぬ間に地元の役所の公務員試験の願書を提出されていて、受験することに。

なぜか入っちまったんだよこれが!

今思えば社会性のない人間だったな~と思う。

世の中の事、なんにも知らないんだもん!

幸い、その頃は黒澤明の映画や「男はつらいよ」にはまってた、昭和に詳しいヒネたガキではあったため、中年層の受けは悪くなかった。そんなんで、なんの仕事してるかもわかんない状態ながらも、母の血を引いてるからこそ母のような状態になりたくないと常日頃思って過ごしていました。

もともとのバックパッカー志向もあり、早いうちになんらかのメンタル修業を行うことを計画し、実行に移していきます。

実際にやったのは主に仕事の夏季休暇中に、山籠もり(最初は3日)、青森から仙台まで徒歩で制覇、山籠もり(一週間)、仙台から東京まで徒歩で制覇、恐山山麓で枝や葉で自作テント作成し2日間寝泊まりという、生死を危ぶむ場面も何度か遭遇する経験を積みます。

もちろん公務員でありながら(笑)。

周りからは”変わり者”扱い(笑)。

それが快感。

おっかけ女性が骨肉腫による余命宣告を受けていた。そこからの交際&同棲、そして半年後彼女を看取る。

 

 音楽好きの影響でバンドもやってました!

楽器始めたの19歳からですが。

演奏力はないが、異端な演出で、けっこうライブを見に来てくれる人もいました。

そんな中、ついに私にも”おっかけ”の女性ファンが!

最初むこうが私に話しかけるのも恐れ多い!って感じのガチでしたが、だんだんと仲良くなって飲み友達と化していきました。

いつも杖をついていた5歳年上の小柄な彼女は、当時20代後半にして骨肉腫(骨のガン)であることをあっけらかんと告白。

骨をとる術後で片足不随だと。

その後も入退院を繰り返し、数か月不在なこともあったが、抗がん剤で髪が抜けた頭にラクガキした画像をSNSで発信したり、ま~!強い人間だった!

イタイネタをあえて連発する彼女とは、1か月に1回程度の連絡のやり取り。

このあたりはファンのおね~さまって感じの接し方でした。

いつの日か医師からガン再発のお知らせ。

そのことをあっけらかんと話してくる彼女。話の内容はめちゃくちゃ重いのに、いつものように明るい調子での電話の終盤、これまで気を張っていた彼女が急に泣き出し、堰を切ったように不安を表出。

その一週間後には一緒に住んでいました(笑)。

まさかの交際と同棲の同時スタート!

楽しい日々が続いた期間は短く、半年後に私の腕の中で30年の短い人生を終えました(泣)

なにか陰のある女性との出会い。バツイチ子持ち出戻り。出会って3回目くらいから半同棲。できちゃった結婚。

 

 彼女の死の傷心から早3年経過。

未来について野心のある、気の強そうな女性と出会う。

将来についての考え方が共通することが多く意気投合。

彼女はバツイチ出戻りで3歳の女の子を連れていた。

親元に帰ってきて数日しかたっておらず、親との折り合いがめっぽう悪いらしく、タイミングよくうちに滑り込み、娘も連れてほぼ半同棲状態に。

彼女の仕事が忙しいときなどは、その子と2人で遊んだりとかもしていました。

そのうち彼女の妊娠発覚。

ほどなく結婚し、娘を養子縁組に迎えます。

妻の異常な攻撃性と、妻の親が同様に攻撃性が高いことが発覚。父娘間の激しい口論の末…。

 

 結婚に際し、妻の実家にあいさつに伺う。

そこには和気あいあいとした一般的な家庭の雰囲気はなく、殺伐とした空気が漂う。

娘の意思決定にことごとく反発する父親であり、よく言えば過保護。悪く言えば自分の思いどおりにならないと激しい罵倒が始まる。短腹。

もともと他人である私が、妻の実家に伺ったのは2回目くらいの段階で、ちょっとしたミスで「〇〇なら本当に馬鹿だよな!」と、吐き捨てるように配偶者(妻母)に罵倒する光景、人格否定を目の当たりにする。

人前で平気でこれをやるため、一家だんらんの夕食の場のはずが、ものすごい空気が悪い。

ここの家庭ではこれが普通なんだろうが、孫の前でも平気でやるため厄介なとこに来たもんだと本気で思った。

この家庭は、意思の尊重や自己肯定感を養える家庭ではないと悟る。

妻母も自己否定されるやりきれない思いをほかにぶつけているのか、特に娘に対して、常に嫌味っぽい言い方をする性格となっている。

妻も怒りの感情の表出が強く、娘に対しても口汚く長時間罵る原因は生育環境であると理解する。

妻と妻親との言い争いも激しく、取り付く島もない状況であったが、生まれてくる子のために、私自身、妻からの日常的な罵倒に対してもひたすら我慢した。本当に我慢した。

妻が3人目を出産して間もなく仕事再開。職場でパワハラを受ける。そのことで妻が父と口論になって号泣しながら帰宅。その後自殺未遂をはかる。

 

 妻の妊娠中、妻がそれまで在籍していた会社で育児休暇中だったが、以前からほかの事業所からのラブコールがあり、出産後まもなくそちらへ移籍する。

持ち家を購入したところでもある。

家の名義は妻親となる。

土地持ちで財力はある方。

妻親に家賃を払うスタイル。

移籍先の上司による度重なるパワハラや人格否定、育児への理解のない言葉で妻が疲弊していく。

メンタルクリニックへも通い続けたが、あるとき妻が実家へ行ったとき、そのことで妻の父と口論になり、妻が号泣して帰宅した。

妻と妻の父との罵り合いはよく起こることでもあり、いつも長時間食い下がる妻を見て、執念のようなものを感じていたのもあり、妻に対し「言い争いに発展しそうになったらすぐその場から立ち去ればいい!いちいち噛みついているあんたは馬鹿だ!」といったところ、妻が慟哭しだした。

が、ほっといて子供たちと風呂に入って上がったところ、大量の薬を飲んでいた。

すぐさま救急車を呼び、妻の親に連絡し、子供たちを託し病院へ。

その後2日ほどの入院を経て、自宅療養となる。

労働基準監督署にかけ合うなど傷病手当や労災の手続きを行う。

しばらくして妻は、前にいた職場に復帰する。

妻の父親へ対する執念は、父親への承認要求でないかと思い始める。

小学校入学で、娘の行動が普通でない状況が顕著になる。メンタルクリニックを受診。グレーゾーンのアスペルガー症候群、ADHDとの診断を受ける。そして妻の浪費暴走が始まる。

 

 以前から物忘れや、和を乱す行動があり、手を焼いていた娘。

妻は自分の親から愛情不足だとよく罵られていた。

困り果てたところで娘をメンタルクリニックで受診。

上記の診断を受ける。

このころには妻がいつ自暴自棄になってもおかしくなく、自殺するのを恐れて、腫れ物に触る感じで対応せざるを得なくなっていた。

そのうちに妻が自己啓発商材にはまる。

私に断りなく営業マンが家に来た。

子供用自己啓発系のプログラムDVDの営業であった。

妻は一生懸命私に勧める。

常日頃お金がないと不機嫌なのに。

その教材は20万円とのこと、分割するとそんなに厳しいわけでもない。

私は口論になるのを恐れて、また、それで妻のメンタルが少しでも良くなるならと思い、お金の問題がないのならと、しぶしぶ承諾した。

その後、3か月くらいで生活費がないと相談される。

高そうなサプリメントなども家の中で見られるようになってきたところではあった。

はっきり言って2人の収入でお金が無くなることは考えられなかった。

聞くと、先ほどの教材も実は80万円を払っていたとのこと。

さすがに頭にきたが、自殺されてはかなわないと、そこは我慢したし、ほかに何に使っているのか問い詰めることはしなかった。

妻のプライドからか、妻親には頼れないらしく、私の父にお金を借りることになった。

妻の暴走は止まらず、大学に行きたいと言い出す。そして二度目の父との口論による自殺未遂。

 

 とつぜん妻が大学進学したいと言い出す。お金の面でも心配だったが、これが最後と思い、お金は大丈夫という妻の言葉を信じるしかなかった。

これが最後のチャンスで、なにをやっても裏目に出る妻に自己肯定感を高めてもらうしかないと思った。

通信制で、毎月1週間ほど大学へ行くため不在になる。

当然育児家事は私一人で行う。

妻の親がしびれを切らしたのか、育児をないがしろにすることに怒り、妻と父親の口論があった。前回と同じ光景。

こちらも3人のワンオペ育児で疲弊。

さすがにもう付き合いきれないと思い、泣き崩れる妻を尻目に冷たくあしらう。

朝にも口論。

帰宅すると遺書めいた書置きがテーブルの上に。

子供たちを連れて探し回る。

のちに妻親へ託し、再度捜索。

警察にも捜索願を出す。妻はiPhoneだったので「iPhoneを探す」アプリで居場所を突き止め、警察と一緒に向かう。

またしても薬の多量接種と、漂うガスのにおい。

購入したと思われるガスコンロが車の後部座席においてあった。

前回と同じ状況。

数日入院する。

父親も懲りたのか、「俺はもう何も言わないから」と私に言い残す。

私自信の職場の就業時間の増加と収入の少なさと、家事育児をこなす時間を考えて転職を企てる。

 

 雇用の安定した職場であったが、終業時間の増加と収入の少なさから転職を企てる。

相変わらずワンオペ家事育児で大変ながらも各種資格取得をしていた。

妻の浪費で減った財産をとり戻すためにも。

しかし妻母がものすごく反対。

そこで妻が家の家賃を1年ほど払っていない事実を話される。

しかしこっちは収入増のために意思は固く、妻親が理解できない新しい業種のため、いくら説明しても理解を得られず、私の親にも怒鳴り込む始末。

そこから関係修復不可能に。

さらにダメ押しで、学校へ給食費、幼稚園の保育料を払っていない事実が発覚。

妻の知り合いの保険屋に高額な金額を払っていると思っていたが、なにか友人からも高い服を買った請求書なども見つかる。

もうお手上げ状態。

調停を申し出たいところだったが、大学がもう数か月でおわるので、そこからはマシになるかと信じ、ひたすら我慢の子。

私の退職金も、妻の知り合いの保険屋に多くを持っていかれ、初期の運転資金としての計画が大きく崩れる。

そこも我慢するアホな俺。

小学校高学年の娘が反抗的に。友達との金銭トラブルで妻が耐えかね、自ら娘を児童相談所に。そのまま長期入所となり、家に帰れず養護施設行きに。

 

 娘の発達障害の影響もあり、だんだんと家での生活態度がだらしなくなる。

そんな折、娘が友人と遊びに行って金銭トラブルを起こす。

耐えかねた妻が「もう育てられない!」と言って、児童相談所に連れて行った。

緊急保護となり、娘の母親への依存の傾向が指摘される。

罵倒して育てた代償だと推測される。

数日で退所できる話の展開であったが、私と妻での相談員との家庭環境改善の相談の場で、よりによって私が語る育児方針に妻が反発するような態度をとる。

その様子を相談員が感じ取ったのか、娘は家に帰る方向から打って変わって、児童養護施設に送られる提案をされる。

その後、妻は無気力となり、家ではだた横になっているだけ。もう3年程度は家事育児、参観日などの行事も9割以上を父親である私がこなしている状況で、妻が自らの浪費を顧みず、精神的につらいのに私すらも養っているという言動をしたので、水面下でいろいろと準備を進めることにした。

第一は子供のため。現在再度の職場トラブルで妻は無職。

その間私の悪口を知人に言いふらすという絵にかいたようなダメ人間っぷりで、今でも気づかれていないと思っている。

それを聞かされている私の大変さを思いやれる妻知人が事を起こす場合は私に協力するとの申し出数名。

どんだけ職場でもこじらせてきたのか。

地元に居場所も減っている妻は、都会移住志向が強くなっている。

そこできれいに終わらせたいと思っている。

展開によっては刺されるかもしれん。

生死を書けた戦いが今始まる。

最後のまとめ

 

 私の一方的なな見解にすぎないし、批判も十分にあるのも覚悟の上だし、身バレも想定内ではある上で語ります。

妻は毒親に育てられて承認欲求モンスターと化してます。

自己保身、他社批判が強い性格で名誉のために他人を利用することも。

そして最後まで責任を果たさないでぶん投げる。

複数被害者からも申告あり。

しかしその生育環境に同情もあり、いままで相当我慢を重ねてきました。

妻も、妻という対象ではなく、一人の人間として何とかしたいと思っていたし、なんとかできるといううぬぼれもあったが、今は子のためにも自死だけは避けてほしいという思いのみ。

夫婦としての継続は無理。

子供に対する影響も計り知れない。

子供は3人だが、妻も4人目の子供として割り切ってこれまでやってきた。

まあ、結局は見下されてたってことだ。

性格上それもしかたない。

そんな中で、このブログは読み物として面白いことを心掛けたい。

また毒親などの環境に困っている人の参考になればと思っている。

施設にいる娘であっても、自分の手で社会生活できる人間にしたいと思っている。

発達障害けっこう!むしろ個性を伸ばしてやりたい。

ネットで収益を得る方法とか。

ここで書いた経験をこれから不定期に詳細に綴っていきたいと思います。

一つでも似たような経験がある人の励みになればいいし!できれば「応援したい!」って思う人のサポートも期待しています!これからお付き合いのほどよろしくお願いします。

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